2014年8月21日木曜日

今日、私の作になる4冊目の本が出版されました。The Dilammas of Tom Ikeda.というタイトルです。

トム池田はバイリンガルで、バイカルチャルな英語講師です。英語と日本語の二カ国後を自由にあやつるのですが、その分英語と日本語の狭間にあって苦労する話です。大学の高学年生と、英語の実力が高いビジネスパーソンに適切な英語の教科書です。

アマゾンのサイトをあけて、The Dilammas of Tom Ikeda.と記入すると、宣伝が出てきます。

2014年8月20日水曜日

しばらく何も書いていませんでしたが、私が主催する英語学会The United Voice of English Teachers (U-VET)が、8月23日(土)に発足の会議を開きます。これは英語講師の訓練の場としての位置づけとして考えています。

テレビでハーバード大学の大学院の授業風景が放映されていますが、U-VETではコロンビア大学の大学院の授業を再現します。

受講生としては英語の先生を考えています。小学校、中学校、高校、また大学の先生も歓迎です。

講義ではなく、ワークショップを行ないます。使用言語は英語にしますので、英語に自信のある方、あるいは英語教育に興味のある方の参加を希望します。

私の友人の教会で行いますので、参加する方を限らせていただきたいと考えています。参加は無料です。n.sekino@sekino.ocn.ne.jpにメールを戴ければ、道順と教材をメールでお送りします。

なお、同じ教材がアマゾンのキンドルでも読めます。アマゾンのサイトからMyoden Martとタイプして下さい。6ページの赤い表紙の本が表示されます。

2013年12月23日月曜日

日本語はコンタクト言語

コンタクト言語という言葉をご存知ですか?コンタクト言語とは一つの言語がもう一つの言語とコンタクトしながら発達するという意味です。英語がそのいい例で、英語は元々はアングロ語とサクソン語の二つの言葉が合成されてできた言葉です。その後フランス語やドイツ語やその他の言語の影響をうけて現在の英語になっています。この過程を英語でコンタクトといいます。

私は日本語はコンタクト言語ではないと長い間考えていました。しかし、よく考えると日本語には長いコンタクトの歴史がある事に気がつきました。

日本語には表記文字が無かったのをご存知ですか?4世紀になり中国語が入ってくるまでは日本語の会話を文字に残すすべは無かったのです。もちろん中国語は仏教の渡来と共に日本に入ってきたのですが、その歴史からお寺の名前は音読みで、それ以外の事物、例えば神社の名前は訓読みです(林修 2013)。

訓読みと音読みという二つの基準はすでに1700年位の歴史がありますが、現代にも同じ考え方はあります。ホームセンターで買い物をすると、レシートをくれますが、そのレシートを税金控除に使いたかったら、サービスカウンターで領収書に変えてもらいますね?このように日本人は日本語と外国語(古くは中国語、新しくは英語)を使い分けてきました。私個人の考えですが、日本人は外国語を使う事を快しとしていないのではないだろうか、と考えています。しかし、実用性から既に流通している外国語(例えば英語)を使っていますが、日本人としての心の証として、レシートと領収書という言葉を二重に使っているのではないでしょうか。

この二重構造と愛国心が日本人の心奥深くにあり、外国語(特に英語)の使用を拒んでいる理由がここにあるような気がします。

『英語の使用を拒んではいない』と思いますか?日本人は英語の使用を拒んでいるという証明ができます。Tという音の発音がいい例なので、この例を使って説明します。ビジネスパーソンの中にはティーと言わずに、テーと発音する人がいます。英語にテーという音はありませんので、これは日本人が発明した音になります。ですから、TTKをティーディーケーではなく、テーデーケーと発音する人がいますが、Tをティーではなくテーと発音したほうが分かりやすいという理由とは別に、「外国語は使いたくない」という外国語排除の気持ちが深層心理にあるような気がします。

2013年12月16日月曜日

短期集中の効果

今週に短期集中講座が一つ修了しました。受講生は大学を卒業したてのビジネスパーソンで、卒業後4ヶ月の海外研修を終え、その後2ヶ月の英語研修を国内で受講しました。私は国内研修の担当をしました。講師は私ともう一人の2名、受講生はわずか3名で、授業は毎日ありました。つまり、受講生は大学卒業後の半年の間、英語を集中的に勉強したのですが、その効果は絶大で、大学卒業まで英語を一言も話せなかった人が、6ヶ月で英会話のレベルが中級に達しました。中級という意味は、I am thirsty.などの日常に必要な事柄をよどみなく表現できるだけでなく、仕事に関する事柄もじょうずに表現できるという意味です。全くの英会話初心者が中級に達するのに、通常は4年はかかりますので、これは異例の成功例と言えます。これをみても「日本人は英語学習に適していない」という俗説は間違いだという事が分かります。それどころか「日本人は英語学習に適している」という新説をたてたい位の気持ちになりました。つまり、正しい方法で効率的に勉強すれば、半年の間に中級に達する事が可能という事です。ちなみに、この半年の研修は英語の他にビジネスに必要な知識を修得するための、on the job trainingが主たる目的だった事を付け加えておきます。

2013年11月14日木曜日

5%の英語エリート

朝日新聞に「英語をたどって」というシリーズの特集記事がありました。全五作を読んで感じたのですが、日本人はほんとうの意味で英語にふれていないのではないかと思いました。ほんとうの意味で英語にふれるというのは、英語で話し、英語で書き、英語でビジネスを行い、英語で気持ちを分かり合うという意味です。

日本で生活をしていると、英語にふれあう機会が少ないので「何で英語を勉強するの?」という疑問は残ります。また「必要がない英語を勉強しないと昇進しない」という現実も一部の人にはあります。そのようなジレンマはあっても「英語を話せたらいいな」という純粋な気持ちはたくさんの人に残っていると思います。学校教育の責任者はこのような状況をどうしたらいいのか分からないという印象をもちました。

スーパーハイスクールという高校をご存知ですか?日本の高校ですが、授業を英語で行っています。英語の授業を英語で行なうだけでなく、他の科目も英語で教えているはずです。そんな学校で勉強したら英語が上手になりそうですね?私の計算によると、スーパーハイスクールに通う高校生は日本の高校生の5%位です。何故5%なのか長い間疑問でしたが、朝日新聞の記事を読んで答が出ました。1974年に参議院議員の平井渉という人が作った提案が基になっているようです。平井氏は『国民の5%が実際的な英語力をもつように』と自民党の政調会に提案したそうです。つまり5%のエリートをつくり、95%の高校生の英語力向上は望まないというふうに聞こえます。朝日新聞もそう考えました。平井氏は否定したそうです。

2013年11月13日水曜日

Dichotomy

日本語には男性言葉と女性言葉があります。このような言語を英語でdichotomousな言語といいます。一つのシステムの中に二つのルールがあるという意味です。Dichotomousは形容詞で名詞はdichotomyです。Dichotomyの語源はギリシャ語で、カタカナで書くとダイコトミーです。発音もそのままです。

日本語には男性言葉と女性言葉があるので、男性が女性を装うときは女性言葉を使えばいいわけです。たとえば「おいしい」と言わずに「おいしいわ」と言えばいいのですが、英語には男性言葉と女性言葉の区別がないので、そのような言い換えは難しいのです。女性に男性のふりをしてもらうと、言葉ではなく仕草とか、声音とかで表現しなくてはならないので、専門的な訓練が必要になります。

髪は女性の命

『シャンプーを使った結果、髪は女性の命だという事が良く分かりました。』という日本語について考えてみました。この日本語は日本人には問題なく受け入れられますが、英語的には不合理なセンテンスです。

解説をします。「シャンプーを使って髪を洗う」行為と「髪は女性の命」という表現には整合性がありません。つまり、「シャンプーを使って髪を洗ったらとてもきれいになった」という事実と、「きれいな髪は女性の命である」という俗説が結びつかないのです。「シャンプーを使って髪を洗ったら、私の髪はとてもきれいになりました。そこで『髪は女性の命』という言葉を思いだしました。だから、シャンプーで髪を洗う大切さが良く分かりました。」と言えば合理的な表現ですが、この人はシャンプーで髪を洗った事がないのでしょうか。

それに「髪は女性の命」は英語になじみません。Hair is women's life.と翻訳しても何の事か分かりません。「髪は女性にとって命と同じくらい大切である」という意味ですが、本当ですか?強盗に襲われて『髪を切るか、命をおとすかどっちにする?』と聞かれたら髪を切るか、命をおとすか迷いますか?日本語には英語になじまない誇張があります。