2013年11月14日木曜日

5%の英語エリート

朝日新聞に「英語をたどって」というシリーズの特集記事がありました。全五作を読んで感じたのですが、日本人はほんとうの意味で英語にふれていないのではないかと思いました。ほんとうの意味で英語にふれるというのは、英語で話し、英語で書き、英語でビジネスを行い、英語で気持ちを分かり合うという意味です。

日本で生活をしていると、英語にふれあう機会が少ないので「何で英語を勉強するの?」という疑問は残ります。また「必要がない英語を勉強しないと昇進しない」という現実も一部の人にはあります。そのようなジレンマはあっても「英語を話せたらいいな」という純粋な気持ちはたくさんの人に残っていると思います。学校教育の責任者はこのような状況をどうしたらいいのか分からないという印象をもちました。

スーパーハイスクールという高校をご存知ですか?日本の高校ですが、授業を英語で行っています。英語の授業を英語で行なうだけでなく、他の科目も英語で教えているはずです。そんな学校で勉強したら英語が上手になりそうですね?私の計算によると、スーパーハイスクールに通う高校生は日本の高校生の5%位です。何故5%なのか長い間疑問でしたが、朝日新聞の記事を読んで答が出ました。1974年に参議院議員の平井渉という人が作った提案が基になっているようです。平井氏は『国民の5%が実際的な英語力をもつように』と自民党の政調会に提案したそうです。つまり5%のエリートをつくり、95%の高校生の英語力向上は望まないというふうに聞こえます。朝日新聞もそう考えました。平井氏は否定したそうです。

2013年11月13日水曜日

Dichotomy

日本語には男性言葉と女性言葉があります。このような言語を英語でdichotomousな言語といいます。一つのシステムの中に二つのルールがあるという意味です。Dichotomousは形容詞で名詞はdichotomyです。Dichotomyの語源はギリシャ語で、カタカナで書くとダイコトミーです。発音もそのままです。

日本語には男性言葉と女性言葉があるので、男性が女性を装うときは女性言葉を使えばいいわけです。たとえば「おいしい」と言わずに「おいしいわ」と言えばいいのですが、英語には男性言葉と女性言葉の区別がないので、そのような言い換えは難しいのです。女性に男性のふりをしてもらうと、言葉ではなく仕草とか、声音とかで表現しなくてはならないので、専門的な訓練が必要になります。

髪は女性の命

『シャンプーを使った結果、髪は女性の命だという事が良く分かりました。』という日本語について考えてみました。この日本語は日本人には問題なく受け入れられますが、英語的には不合理なセンテンスです。

解説をします。「シャンプーを使って髪を洗う」行為と「髪は女性の命」という表現には整合性がありません。つまり、「シャンプーを使って髪を洗ったらとてもきれいになった」という事実と、「きれいな髪は女性の命である」という俗説が結びつかないのです。「シャンプーを使って髪を洗ったら、私の髪はとてもきれいになりました。そこで『髪は女性の命』という言葉を思いだしました。だから、シャンプーで髪を洗う大切さが良く分かりました。」と言えば合理的な表現ですが、この人はシャンプーで髪を洗った事がないのでしょうか。

それに「髪は女性の命」は英語になじみません。Hair is women's life.と翻訳しても何の事か分かりません。「髪は女性にとって命と同じくらい大切である」という意味ですが、本当ですか?強盗に襲われて『髪を切るか、命をおとすかどっちにする?』と聞かれたら髪を切るか、命をおとすか迷いますか?日本語には英語になじまない誇張があります。

75歳になりますけれど

英語の間違いではありませんが、日本語と英語の違いを表す例なので紹介します。『75歳になりますけれども』と『75歳になりましたけれども』とはどう違うのか考えてみました。英語的に考えると、前者のセンテンスの「なります」は現在形で、後者のセンテンスの「なりました」は過去形ですが、日本語ではこのような時制の違いはあまり強く意識されないと思います。『75歳になりますけれども、グルコンのおかげで腰痛がなくなりました。』というセンテンスでは、同一センテンスの中で「なります」という現在形と「なくなりました」という過去形が混在しています。日本語ではこのように違う時制が混在しても問題になりません。英語では『75歳になりましたけれど、グルコンのおかげで腰痛がなくなりました。』のように両方の動詞の時制を同じにしなければなりません。

2013年11月1日金曜日

そんな事を言う人はいない

これは英語の間違いではありませんが、日本語と英語の違いを示すおもしろい例なので、紹介します。会話調の日本語に「〜な人はいない」という表現があります。例えば「そんな高いものを買う人はいない」と言ったりしますが、これは「そんなに高い物は誰も買わない」という意味ではなく、「随分と高い買い物をしたね」という驚きを示す表現です。英語でThere is no one who will pay the price.とかNobody would buy it because it is too expensive.と言えば、文字通り「高過ぎすから誰も買わない」という意味になります。「そんな事を言う人はいない」という日本語は「そんな事を言う人はあなたぐらいだ」という意味と「誰もそんは事は言ってない」という二つの意味があります。通訳泣かせな日本語です。