2013年10月29日火曜日

企業がスポンサーの英語教育

企業がスポンサーとなり、英会話の授業を行う場合があります。生徒は企業の従業員で講師は教育会社から派遣されます。この場合、スポンサー企業、生徒、講師、教育会社の四者の間に微妙な意識の違いがあります。

日本で生活する限り英語を話す必要性はありません。道で誰かに英語で話しかける可能性はほとんどありませんし、英語のメールを書く事も皆無に近いはずです。この状況はビジネスの場面でも同じで、誤解を恐れずに言うと、国内で勤める限り、英語の必要性はほとんどないと言って正しいと思います。日常業務を英語で行う会社はありませんし、海外のお客様と英語のメールをやり取りする人も多くありません。

このような状況にもかかわらず、ビジネス界では英語が必要だとされています。その理由が日本の企業のグローバル化なのですが、この議論には実は説得性が欠けています。その理由については今は差し控えさせて下さい。

議論を国内に戻し、英語学習の必要性について考えます。日本で生活をする限り英会話の必要性は皆無に近いので、英語を勉強する積極的な理由はみあたりありません。にもかかわらず英語を勉強する人は多いのですが、その理由として『英語を話せたらいいなあ』という気持ちがあるからだと思います。この気持ちを英語教育で内的要因、英語でintegrative motivationといいます。一方『TOEICで高得点をとるために勉強する』という理由もあります。これを外的要因といい、英語でinstrumental motivationといいます。一般的にIntegrative motivationは強い影響力を与え、instumental motivationは弱い影響力を与えると考えられています。

企業研修で英語を習う時の問題点として、まず「英語学習の理由が極めて弱い」という状況があります。そのため、企業は英語学習の具体的な効果を示す事ができず、TOEICなどの試験で高得点を得る事を目標にする場合がありますが、これは短絡的な考えです。学習者にとって、TOEICの高得点と日常業務の間に関連性を見つけることは難しく、英語を積極的に学習する理由にはなりません。しかし、「授業料は会社が払うから」英語研修に出席する人もいます。

一方『英語を話せればいいなあ』というintegrative motivationは無傷のまま残っていますので、企業の意向とは関係なく英語を勉強する人がいます。この場合、学習者の意識と企業の意識の間に関連性はありません。講師は学習者と企業との意識の乖離(かいり)に気がつかないまま授業を進めます。

実は、企業がスポンサーの英会話教育は成功しない例が多いのです。


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